長年海外に住むと、自分のバック・グラウンド(文化的背景など)をよく知ることが如何に大切か、認識させられます。自分は一体誰であるのか・・・その「立点」から全てが始まる、と言っても過言ではないでしょう。異なる文化圏にいるからこそ、自分が生まれ育った風土や慣習、伝統文化・精神というものについて考えさせられる機会が多いし、だからこそ、自分があまりに日本のことを知らないという事実にショックをおぼえます。また、離れているからこそ"いとおしさ"もひとしお・・・と言えるかもしれませんね。
海外に出て、これまでにありとあらゆる文化圏の人々に出会い、様々な人間性に触れ、感銘を受けることも多くありましたけれど、それでも矢張り、日本人の持つ繊細な「感性」は特出しているんじゃないかな、と感じます。(まぁ、色々な批判や叩き−も内・外部からはありますけれど)一概に言って桜の花びらがハラハラと散る姿に「美」を感ずる鋭敏な感性−が凄い(敵わない)・・・と"憧れ"の対象になっているのは事実だと思います。だから、ナンジャカンジャと文句をつけられても、極東の小国・日本は"抹殺"されずに済んでいるのではないでしょうかねぇ・・・。西欧人には「自己」「人間とは?」といったことに関しての太い哲学(幹)が心棒に通っていますが、枝葉の細部にまで神経が行き届かないことが多いと言えるかもしれません。
日本文学の権威であり、日本人より日本に詳しい(と、いつも紹介される・・・とご本人は笑っておいでです)アメリカ人のドナルド・キーン先生は、日本文学に興味を持ったきっかけについて・・・アメリカが第二次世界大戦にのめり込んでいった1940年、世界の醜さにとても辛い思いをしていた(先生は反戦主義でおられます)時、ふとしたことから『源氏物語』に出会った。物語の中ではあるが、醜い闘争のない世界−こんな美しい世界を描くことのできる日本人の感性・・・それに大きく感動したのです・・・と、語っておられました。先生からは、日本語の持つ"音・リズム・奥ゆき"など−松尾芭蕉の俳句に秘められた日本語の美しさ−を教えて頂き、目からウロコ・・・の思いでした。
大分寄り道をしてしまいましたが、広辞苑の「萌え出る」の項から、万葉集第8巻に含まれるこんな美しい歌に出会いました。春の色、音、息吹が湧き上がってくるみたい・・・
石走る垂水(たるみ)の上の さわらび(早蕨)の もえいづる春になりにけるかも
世界のあちらこちらを訪れ、その厳しい現実や自然に唖然とすることが多いのです。
日本という国がこんなに美しい自然に育まれているという幸運に、喜びと感謝を感じます。そして、世界にふたつとない素晴らしい伝統文化・精神が我々のバックボーンにあるということに、もっと誇りと自信を持っていいんじゃないかな・・・と感ずるのです。
|