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Impromptu 純子の思いつくままに
2002.8.6 混乱・・・ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
アメリカで人生の半分以上住んでしまったら、私の使う日本語はかなり危ういものになりつつあるらしい。
そんな自覚もないままに、“やたらヨコモジを会話に使うのはよろしくない・・・”と気配りのつもりで、一生懸命に“日本語〜、日本語〜”と頑張るのだけれど、失笑をかうことがよくある。その度に、私の頭の中は混乱状態・・・

先日、“命はあるものの、殆ど<植物人間>状態で”と言おうとしたのだけれど“・・・become vegetable”という英語表現しか頭に浮かばない。う〜ん、ベジタブルなんですよ・・・なんて言っても通じないかも、と思い、“あのね、野菜人間・・・”なんて言葉が思わず口をついて出た途端、ドドッと大笑いの渦。
我ながらチョッピリ意気消沈して、でも、思い返してみればこの手の大恥はしょっちゅうなんですよね。

客船『飛鳥』ワールド・クルーズで、スエズ運河に入ったお祝い<仮装カーニバル>があって、船のスタッフがそれぞれ趣向を凝らした扮装で乗客をエンターティンしていた。
突如、西部劇のカウボーイ現る・・・うわぁ〜かっこいい! 両脇の拳銃をサッと抜き取り、“やったぁ〜 二重拳銃!!”なんて叫んだら、隣でピアニストの佐藤允彦氏が冷たい目をして、“それを言うなら二挺拳銃だろ”。
スミマセン・・・なにせ ”Double”(二重の)という言葉が頭を過ぎったもので・・・

噺家:古今亭志ん弥師匠の上野・鈴本での独演会にゲスト出演(落語、ではなくヴァイオリン演奏で、ですよ。お間違えなく・・・)した時、私が着ていた衣装について師匠からご質問がありました。
“えぇ、今日はクライスラーの『中国の太鼓』も演奏しましたので支那服(今、この漢字を変換で探したけれど全く見つからなかった。そうか、矢張りこれは死語なんですね)を・・・”なんて答えたら、それこそ満場大爆笑。“シナ服?・・・あっ、チャイナ・ドレスですね。それにしても大津さん、一体どこからそんな言葉が出てくるんです?”といった具合で、もしかして私って、すご〜く古 いのかも。

絵画の話をしていて、マティスの静物画と言おうとしたのだけれど、Still Life(静物画のこと)って日本語でなんて言ったっけ、え〜っと・・・。漢字がそのまま頭に浮かんだものの、“静”の字はなんと発音したのかな。静電気(セイデンキ)とも言うけど、でも確か静脈(ジョウミャク)の静でもありましたネ・・・“ジョウブツガ”・・・一瞬???という空気が会場に漂った。何だかまた変なこと言ってしまったみたい、ヤだなーと思っていたら案の定、“どうも、成仏画と言っていたようですが・・・”と、公演後のアンケート用紙に記入されてしまった。

“あの方、一旦退職されたのですが、その後、タクショクとして同じ職場にいらっしゃるの”と知ったかぶりで話をしたら、“あの〜、それって嘱託(ショクタク)では?” “いやですね、自分でハカアナを掘ってしまって”“それはボケツ(墓穴)じゃ・・・”。 もうもう、ホントにキリがないんです・・・
日常使っていない表現など、こんな風に情けないぐらい言葉が何処かへ飛んでいってしまう。

NYで日系人会主催の、お年寄りを対象にした集いでの演奏を頼まれたことがある。
日本で生まれ育ったものの人生の大半をアメリカに暮らし、日本語を日々の生活に使う機会の少ない人たちにとって、日本語はすでに知らない言葉<外国語>に等しい。そこまで母国語を忘れるってことあるのか、と信じられない思いもするけれど、英語が母国語並みになるならいいんですよ。そうでなかったら悲しい現実が待ち構えているのだから・・・という話を聞いた。人間は齢を重ねれば重ねるほど、自分が子供だった時の言語体験に戻っていく、というのだ。長年異国の地に暮らし、でもそこの土地の言葉(新しい言語)を今ひとつ自由に扱えないままに年月が流れていく。子供や孫たちはその土地の言葉を自国語として育ち、自分に対してはその(新しい)言語でしか話をしてくれない。母国語を話す機会が無ければ、それは自分の記憶の中からジワジワと失われていくのだ。そして、ある日突然、全ての“言葉”が失われ、話すという行為そのものができなくなってしまう移民一世たちが多くいるという・・・

英語も完全でなく、なお且つ、日本語も中途半端な私の人生の末路は?
うぇ〜ん、怖いですよう!





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