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Impromptu 純子の思いつくままに
 <万之丞さんのこと・・・> ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
2004年7月7日(七夕!)記

いつの間にやら7月に入ってしまいました。

東京は空梅雨で暑い毎日が続いていると耳にしますが、如何お過ごしでしょうか。

6月下旬からアラスカ・クルーズの仕事で出掛け、"何処の飛行場もやたら混み合っているなぁ・・・"なんて思いながら、飛行機乗り継ぎの連続でヨレヨレになって、7月1日にニューヨークに戻ってきましたが、そうか、すでに7月4日アメリカ独立記念日の大型ホリデーが始まっていたんですね。何はともあれ、心配されていたような大きなテロ攻撃がアメリカ国内で起きずに済んだことは幸いです。

6月6日の紀尾井ホール『Good Old Days』Part V にいらして下さいました皆様、本当に有難うございました。昨年までと"ひと味"違う演出・構成でしたが、おおむね好評を頂き、嬉しく思っております。このコンサートの準備の道程で、まぁまぁ それは様々なことがありましたけれど、野村万之丞さんのことは最大の衝撃でした。彼が倒れられてからお亡くなりになるまでが余りに短い期間でしたので、正直言って、未だに事実が納得できない思いでいます。

3月半ば、万之丞さんが講演のためにニューヨークに見えられ、その時にご挨拶を兼ねてお目にかかったのですが、あの時の、ご自分のプロジェクトの将来について語られる彼の自信とエネルギーに溢れたお姿が目に焼きついており、こんな形で2度とお目に掛かれなくなるなんてことは想像外の出来事でした。万之丞さんが狂言師だけに止まらず、制作・演出・学術・執筆ほか、総合芸術家として多岐にわたり大活躍されていたことは多くの方々の知るところと思いますが、彼の講演を聞かせて頂き、日本の歴史と伝統に裏づけされた(300年の歴史を持つ加賀前田藩お抱えの野村万蔵本家の直系長男として生まれ、祖父・父君は人間国宝。'05年には8代万蔵を襲名予定だった)深い知識と、文化に対する認識力、そして、洒脱で明快なお話振りに、いたく感銘いたしました。

"文化とは、形を変えつつ心を伝えていくもの。「守り」の姿勢に入ると滅びるものです。形だけ守ろうとすると中味はピーマンのようにカラカラになってしまう・・・文化はシャフルして使わなくてはならない。伝承→創造→破壊・・・これがひとつのサイクルなのです。"と語られていた万之丞さん。"人類は地球をコンクリートで固めることで破壊を続けています。産業革命までは地球の利子で食べていましたが、産業革命後はついに地球の元金に手を出してしまいました・・・元金は目崩れして破壊へと動いています。だからこそ今、人類の伝承してきたものに目を向け、新たな創造を始めなくてはならない・・・"というメッセージを持って世界を駆け巡っておられたのだと思います。その「創造」の志半ばで早逝されてしまったことは本当に無念極まりないことですが、彼が力を注いでおられた真伎楽(注・伎楽とは、1,500年前=聖徳太子の少し前=に、ペルシャよりシルクロードを通って日本にもたらされた音楽とパントマイムで、その仮面が多く残っているのは世界でも唯一、日本の正倉院のみとのこと。中国にもこれだけの遺産はないとか)による「マスクロード・プロジェクト」(仮面文化の存在を確認しながらシルクロードを逆に辿っていく、という)のお話は大変興味深いものでした。ニューヨーク講演で伺った素晴らしいお話の一部を、このページで皆様にお届けすることで、万之丞さんのご冥福を心より祈らせて頂きたいと思います。我々日本人が普段何気なく使っている言葉や慣習の中にシッカリと刻み込まれている伝統と歴史、そして、それらが意味するところ=心=について考える機会をつくって下さった万之丞さんに深く感謝して・・・。(私の取ったメモがもとですから、お話の一字一句を再現することは出来ませんが、彼の残されたご功績に敬意をはらい、以下にまとめてみたいと思います。少し長くなりますが、お付き合いくださいね。)

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文化交流の時代は終わり、今や「文化共有」の時代に入りました。音と身体と仮面が、人間のコミュニケーションの基本(もと)です。古来の芸能・猿楽=こっけいな物まね芸(ちなみに、「まねる」ことは日本文化の基本)=では、三番叟(ソウ)の仮面はおじいさん(翁)であり、一番叟の面は中国にあるものと同じで、それはまた、北アメリカのトーテムポールとも同じ顔をしており、全て世界に通じるところがあります。見えない「神」と、見えない「心」を繋ぐのが仮面の役目で、「型」(=伝統)は過去(見えないもの)を知るために必要な、大切なものです。仮面によって見えない神との交流を図り、また、仮面は神(本質)そのものともなります。それは「真実」のみを語り、絶対に不変であるのです。目に見えない本物のことを"シ〜ン"と言い、それは漢字の神・心・新・身・真などに繋がります。真名(まな)は真実の文字、仮名(かな)は仮の文字の意味です。 カルラとは仮面のことですが、ガルーダ=イーグル(ハゲワシ)と同じ言葉であり、太陽信仰(ゾロアスター教)の鳥葬にも繋がります。ツタンカーメンの仮面にはコブラがついていますが、コブラは地球の支配者を意味し、コブラとガルーダによって過去と未来を伝えているのです。

『演劇人類学』(注・万之丞さんが専門分野として大学で講義をされていた学問)から見ますと、日本の伝統芸能である狂言と能は双子の兄弟のようなものです。"一妻多夫"の、母親は猿楽。父親は先行芸能であり、第一夫:伎楽、第二夫:雅楽(1,000年前に日本に入り、天皇家で脈々と受け継がれている。ちなみに、"神様の動き"のことを「振る舞」というそうです。だから、振る舞いに気をつけなさい、などと言うのですね!・・・筆者より)。第三夫:田楽(1,000年前に生まれ、500年前に滅びた。一本の棒にしがみついている姿を「串刺し」と言い、田楽ゴマや田楽豆腐にも一本の棒がついていますが、それらは全て田楽の名残り。筆者はちょっと聞き逃しましたが、竹馬に乗る姿と関係があったよう・・・)です。その中から生まれ、日本人が最初につくった芸能が狂言(兄)と能(弟)であり、兄(狂言)は母親似で「喜劇」=生きる="あ"の音。弟(能)は悲劇=死ぬ="ん"の音。『あ・ぅんの狛(こま)犬』を神社などで見かけますが、元来はサンスクリット語で、「過去」と「未来」を通って生死の世界を考える、という意味なのです。

能や狂言のような仮面舞踊は、韓国や北朝鮮にも存在します。ちなみに、伎楽の仮面を作る技術は現在、日本にしか残っておらず、様々な仮面の再興に取り組んでいるところです。

戦国時代の侍(殊に織田信長)は能をこよなく愛しましたが、これは彼らが常に死と向き合っていたことの反映であり、豊臣秀吉は狂言のなかに"生きている時間"の大切さを見出していました。前田利家は能も狂言もダメで、「かぶきもの」(歌舞伎)と呼ばれましたね。徳川家康は能と狂言を上手く利用して、方言で互いに言葉の通じない全国の侍をコントロールしました。能は文語体(候=そうろう文)として、狂言は会話(〜でござる)に使われたのです。歌舞伎は、徳川家康によって"世俗を乱す"―ということで全て禁じられてしまったために曲がひとつも無くなってしまいました。そこで、能や狂言から18曲もらい、歌舞伎18番に仕上げたのです。その曲は桐の箱に入れて大事に届けた・・・それが歌舞伎で言うところの「おはこ(十八番)」なのです。日本語の表現というのは、このように伝統芸能から生まれたものが多く、雅楽においては、太鼓の音に合わせて舞うことで「打ち合わせ」と言い、狂言においては、言葉に合わせることで「申し合わせ」と言い、一緒に"間を合わせて"演じるための約束ごとでした。

現代は金儲け第一主義で「小さく」「速く」「近く」が合い言葉となり、常に新しいものを追い駆け、消費することが美徳のようになっていますが、本物の文化とは「大きく」「ゆっくりと」「遠く」、そして、細く・長く続けていくものなのではないでしょうか。〜

(以上、2004年3月11日(木)・The Nippon Club, in NYCに於ける、故・野村万之丞さんによる講演『マスクロード:文化交流から文化共有へ』より、抜粋・要約・編集させて頂きました)

後記:まだまだ沢山、興味の尽きないお話があるのですが、最後にひとつだけ、万之丞さんが聴衆からの質問に答えられたご意見が心に残りましたので、ここに添えさせて頂きたいと思います。2001年9月11日のテロ以後の世界情勢について、どのように考えておられますか−という質問だったのですが、"WASP(アメリカ)とイスラムの双方に、偶像崇拝はない。仮面の存在しない文化の衝突−と受け止めている"と、お話されました。 私にとって"何故、あそこまで互いに憎みあわなくてはならないのか"−という疑問は大きかったのですが、その一部が多少なりにも解けたかな?・・・という思いがしています。


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