| <Hello, America!> | ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 2009年2月28日 記 |
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喪中であったため新年のご挨拶を控えておりましたが、気付いたら何と2月も末です!
どうしても2月のエッセイとして間に合わせたかったのですが、日米間の時差のため、現在日本時間3月1日になっちゃった・・・時の流れはスピードを増すばかりです。
皆様、お元気にお過ごしでしょうか?
当然日本で報道されていたと思いますが、ゴルフの石川 遼クンが先日アメリカ・デビュー。記者会見での第一声が"Hello, America!"でした。頑張って英語でひと通りの挨拶をし、最後に"僕の名前、ちゃんと発音できますか? リョー といいます。一緒に発音してみてください。ハイ、リョー、リョー・・・"なんて調子で、とっても初々しくて可愛かったのですが、Ryo の発音は英語圏の人たちには本当に難しいんですよね。私の英語力では適切な解説はできないけれど、R や Y の発音には独特な口・舌形が伴うので、日本語のように軽くスッキリとは言えない。一番近くても"ゥリィヨゥ"となっちゃう。アメリカ人友達に発音してもらったら、やっぱり苦労しながらの ゥリィヨゥ でしたね。 スーパースターの登場による「濡れ手に粟」を常に窺っているスポーツ業界やメディアにとって、久方ぶりの「ビッグ・ショット」か − というわけで、NYタイムズ紙やTVスポーツ・チャンネルでの報道は"17歳のジャパニーズ・スーパースター現る"って具合で大々的でした。残念ながら最初の二日間の成績があと一歩振るわなくて最終戦に残ることはできず、う〜ん、世界のトップ・クラスがひしめき合うアメリカのトーナメントは甘くないぞ、ということなのでしょう。でも大きな試合のスポンサー特別枠を使って、あと3トーナメントぐらいはアメリカでプレイするそうですから、活躍に繋がることを期待しています。しかしねぇ、彼のような若い人の活躍はいいですね。日本の印象が明るくなります。酔っ払いや、漢字の読めない(・・・というのは私自身にも当てはまるから大きな顔して言えないのだけど、ウフフ・・・)オジサンたちはもう第一線から身を引くべき頃合かもしれませんなぁ。 スポーツ・チャンネルといえば、アイルランドには Setanta(セタンタ) というTVチャンネルがあるそうな。Setanta はアイリッシュの伝説的ヒーロー、Cuchullain(クークレィン、と読むのだと思う)の幼名。彼のおじさんに当たる Connor Mc Nessa(コナー・マックネッサ王= Ulste地方の君主)に育てられ、類稀なるスポーツマンに成長しました。頭は切れるし、勇猛果敢な軍人として その名をアイルランド中に轟かせたとか。老若男女、皆が憧れるアイルランドの国民的英雄なのだそうです。日本の伝説的ヒーローって誰になるのかなぁ? スサノオノミコトでしょうか・・・(笑) フリッツ・クライスラー編曲によるアイルランド民謡『ロンドンデリーの歌』(ダニー・ボーイ)が素敵なので好んで演奏するのですけれど、楽譜に『Londonderry Air ~ Farewell to Cucullain』(ロンドンデリーの歌 〜 さらば、クークレィンよ)と書かれているが気になり、これは人の名前なのだろうか?土地の名前なのだろうか?・・・と辞書をひも解いてみたけれど全く意味不明だったのです。そうそう、私にはアイルランド人の友人がいましたね、と彼女に尋ねたところ、やっと謎が解けたというわけ(クライスラー版には h が抜けたスペルが書かれていますが、私の友人の話では h のあるのが正しい)。それにしても、<ダニー・ボーイ>の歌詞はよく知られていますが、その中にCuchullainなんて名前は一切出てこない。何故"クークレィンよ、さらば"なのかが疑問となり、色々探っている最中です。もしこの曲の長い長い歴史に興味おありでしたら、www.theoriginofdannyboy.comをご参照ください。民謡というのはそれぞれのお国柄や文化、歴史が反映されていて、研究し出すと本当に面白いですね。
突如話は変わりますが、寒さに弱い家人は北風が吹きだす季節になると風邪ばかりひきこみ、どうしようもない.そんなことから、このところ冬になると南の別天地、フロリダにやって来る生活となりました。 私にとってフロリダはあくまでも冬場の避寒地であり、「退職者たちの天国」と映り、根を張って音楽活動なんかできる場所だとは思ったこともなかったのです。フロリダ州の場合、住民には個人所得に対する州税が無いので暮らしやすく、暖かい気候のもとでのんびり退職後の余生を過ごす高齢者が多いのは事実のようです。友人によると、ニューヨークからフロリダに向うフライトを"ミラクル・フライト"と呼ぶのだとか。ニューヨーク出発便に搭乗する際は車椅子、しかし、フロリダに着地した途端、どうしたことか(!)杖を脇に抱えて颯爽と歩いて飛行機を降りるお年寄りたちが多いんだそうで・・・(笑)。 一昨年来、フロリダを基盤に活動する優れた音楽家たちとの交流が増え、また、パームビーチ、マイアミ辺りには芸術支援のために惜しむことなく高額な寄付金を供する富豪者たちが多いことを知るにつれ、「退職者たちの天国」といったイメージが覆されつつあります。マイアミはフロリダ半島の南先端に近いのですが、ラテン諸国への玄関口として現在アメリカ国内でも抜きん出た発展を続けています。いわゆる"ラテン・マネー"と表現される富豪たちがアメリカでのビジネス展開の拠点としてマイアミに大きな投資をしているのだそうです。また、マイアミから少し北に上がったパームビーチ近辺にはニューヨーク、ボストン、ワシントンDC、シカゴなどの北東部からの移住者が多く、それぞれの地でビジネス成功を収めた富豪たち(まだ現役)には芸術愛好家が沢山いるのです。彼らはメトロポリタン・オペラ、リンカーン・センターほか多くのアート・シーンで理事を務めたり、多大な支援者であったりするのですから、しっかりした審美眼を持っている人たちも少なくありません。アメリカでは<寄付金>には税金控除の恩恵があるため、富豪たちはこぞって芸術や慈善事業などへの支援をする − ということもありますが、一般的に<文化>を大切にする意識はかなり高いと言え、日本の現実を見るにつけ寂しい思いがしてきます。 実はフロリダとのご縁の始まりはジュリアード音楽院に留学して一年目の時に遡ります。ドロシー・ディレイ先生に薦められるままに Flagler Matthews (フラグラー・マスィウズ)財団が主催するオーディションを受けたのです。幸いにも9名の新人演奏家の一人に選ばれ、フロリダ州パームビーチにある Flagler Museumにてリサイタルを開催しました。それまではパームビーチについても、ジョン・D.ロックフェラー氏(John D. Rockefeller)と居並ぶアメリカ実業界の大物、ヘンリー・モリソン・フラグラー氏(Henry Morrison Flagler:1830-1913)についても全く知識がありませんでした。彼は19世紀末からフロリダの開発に着手。半島を縦断する鉄道を敷き、パームビーチ市を作り上げた人物で、正にアメリカの<Gilded Age>(金ぴか時代=作家、マーク・トウェインが、その俗物的時代精神・成金的発想を皮肉って編み出した新語)を生きた人。 因みにヨーロッパ大陸では、19世紀末から1813年の第一次世界大戦勃発まで<Belle Époque>(美しい時代=私の4月23日コンサートのテーマです!是非にいらしてくださいね!!<心のコンサート>ご案内へ)と呼ばれる社会的な動きの真っ只中で、近代基礎医学の確立、新テクノロジーの発達により自動車、飛行機、蓄音機、電話、地下鉄などの誕生・・・と、一般市民の生活がいちじるしく向上しました。"貴族"ではない「ニューリッチ」族の登場で、パリを中心に芸術、ファッション、グルメに興ずる<華やかな時代>が生まれたのですが、それがアメリカに於いては<金ぴか時代>となったわけです。新ビジネスの成功者には王侯貴族のような生活が可能となり、フラグラー氏が建てたFlagler Museum(フラグラー氏が結婚プレゼントとして奥さんのために建てたお屋敷=通称White Hall=で、現在はミュージアムとして一般公開)のヴァーチャル・ツァー(ここで:「Visiting」をクリックし、そこに表れる幾つかの表記一番下が 「Virtual Tours」で、そこをクリックして下さい)をして頂けるとお分かりになると思いますが、内装は本当に金ぴかで目が眩みそう(笑)ですよ。 私がパームビーチに出掛けていったのは確か4月か5月だったように記憶します。NYでは少し遅い春の訪れを見る時節ですが、まだ風は冷たく、花々の蕾も身を縮めている頃です。"フロリダは初夏のような気候だから夏服を用意していきなさい"と先生からアドバイスされ、夏の日差しに相応しいパステル・カラーのブラウスと真っ白なパンツを新調したことを思い出します。まだ何となくモノトーンでしかないNYを飛び立って2時間ほど経ったでしょうか・・・窓から差し込む光線が眩しく、誘われるように窓下に目を移した時の感動は今でも新鮮に甦ります。あんなに美しい海の色を見たのは初めての体験でした。コバルト・ブルーと緑の濃淡が混ざり合い、光のコントラストが海の深さの微妙な変化を映し出し、その色彩の透明さはまるでパレット上においた水彩絵の具が少しずつ水に溶け出していくかのよう・・・留学後間もない若い(アハハ・・・)演奏家には感激の一瞬で、正に"Hello, America!"という気分でしたね。
この音楽会シリーズでは、オーディションで選ばれた演奏家たちによる月一度のリサイタルが一巡(9月から5月)して一年が終わると審議会が開かれ、その年の最優秀演奏家を選出し、一年分のスカラシップが授与されるのです。金額は今でこそ驚くようなものではありませんが、当時の貧乏留学生にとっては(贅沢さえしなければ)一年分の生活費に当てられる額で、"楽器や弓などを買ってはいけません。学費および勉学に必要な生活費に当てること"という条件も付いていたと思います。 あれあれ、話がどんどん長くなるから続きは又にしましょう・・・では次回をお楽しみに! |
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